ほっつき歩く先々から原稿を、突如として送りつけたい、麗しい炎の都に。
  山神媛に酒捧げつつ峰渡る、春先に。

鳩宮 桜城


 監禁されないと書けない奴、という者があるとすると、俺はそうかもしれない。子供の頃の物書きのイメージに、締め切りが迫りあの手この手で逃走しようとするのを、とっつかまり、ホテルの一室に監禁され、次の間に控ええた連中が慇懃無礼な口調で書かないとどういう目に遭うか、たらたら講釈垂れる、というのがある。子供の頃は、なぜ締め切り間際の物書きが逃亡をはかるのか理解しかねた。催促してもらうのは有り難いことではないか。贅沢だ。しかし餓鬼にも、とてつもない苦悩は、解る気がしたものである。
 
 他人に監禁されるのが我慢ならないプライドの高い奴は、書斎にみずからを監禁し、内から鍵をかけて転げ回るのだが、そんな馬鹿みたいな処を見せるのは沽券にかかわると考えて、見せないわけだ。そんなわけで、すいすい書く一方で、その終わりのない苦悶がいかばかりか、酒のついでにこっそりとうち明け合うのが通だと思っていた。

 作品生成は、はっきりいって、達人なら書かなくても瞑想によって同様の事をなしえる。あえて書くという泥臭い行為に走るのは、これは私見だが、人の子の、ようするに人として生まれた立場で味わいうる苦難の道行きをみずからもたどらずして高位の救済はありえない、という、苦行によって世界を救済する古代宗教者のようなもので、じぶんだけ書けばすっきりするタイプの執筆とは、発生も形成も、自分という者の価値も、まったく異なるのである。両者の接点の無さは、女色しかたしなまない者と男色しか関心がない者との、よた話もかくやと思われる。それは別のものだと互いに蔑み、世間からは同じ色事と思われているのを苦く感じているというやつだ。

 おお、たった今極秘に降った指令によれば、MだのSだの今回は書くなということで、それは『揺蘭』が思いこみ好きな目から思いこみ一色で見られるのを、趣旨から言って回避したい編集人が山媛さまの啓示を受けて葉書に殴り書いたぶっきらぼうな命令である。
 ああ、南国の植民地風ホテルに監禁され、「強制されて書くものではない」などと、正論だが青臭いことを本心からのたまう俺様を、ええと、その、なんというか、どうしてこうして、うっかりぶちのめしてはさすがに書けまいと思うので、どうするかといえば目の前で人質を切断していく、そいうった妄想は、そういうわけで書けはしないのである。おお、綺麗な鹿などが生きながら皮を剥がれるのを目の前で見せられれば、俺は他愛もなく「よせぇぇぇぇぇ、やめろぉぉぉぉ!!!! 一息に殺してくれぇぇぇぇぇ」と叫んでのたうち回るのは必定。ああ、こんな無害な妄想も、今回は駄目だそうで、それは『揺蘭』編集人が“Sでぃすと”と思われては差し障りがあるということなのか、ネット界に奇妙な不審を拭えない『迂路くず舘』管理人が匿名の嫌がらせを避けたい為なのかわからないが、きっとそうではないのだ、俺が持ち歩いている書きかけの話が、とある女主人を慕う軍関係の男の話で、欲望止みがたい男は捕虜の女たちをこっそり自室に連行し、足を洗わせてくれれば解放すると交渉する、女主人に頼んで嫌われるのはまずいのでどうせ殺す予定の捕虜に頼んだわけであるが、捕虜の女たちの肌には嫌悪と恐怖の粟粒が立ち、男はお仕えする妄想が満たされず怒って彼女らを殺してしまう話だ、何と、嫌な奴だ、お仕えする気持ちが真摯なものなら嫌われまいに、要するに、自分の快楽のためにお仕えする形を取っているだけで献身とは宇宙の果てほど離れているわけだ、で、書きかけのそれを見せたら大抵は「エゴマゾだね?」との感想、く、く、く、たしかにこいつはどうしようもない奴だ、だが身分も教養もある俗物が高貴な感情に近づけないのはありうることだ、『揺蘭』創刊号の冬日どのの如く邪心の無い者ばかりではない、救済されたい気持ちはやみがたいが駄目な奴も此の世にはいて、そういう奴はどうなるのか、悪人なおもて往生をとぐ、おう、そうだ、理不尽な感情が高貴の域に届こうとするには理不尽の純度を頼るしかない、まあ、そんなことを言っている内に別の執筆者の原稿が趣味人向けの雑誌に載ったからお前は別の切り口で書け、と、いう指令も来て、「鳩どの、そういう視点で眺めれば原稿すべてがその手の視点で鑑賞できるのですよ、お前は本来のお得意、殉教譚をものしなさい」、と、なったわけで、はるかの道のりに変幻自在に衣の裾をひらめかせる文芸冊子としては当然の配慮である。

 ところで、監禁されるなら女の人にされたいと思うのはもっともだが、書くためというなら男に監禁されるほうがいいだろう。で、ホテルみたいに期限付きの場所に限る。崩れた城館の地下室あたりだと解放されるのが残念になり、、、、いや、それはそれで書くだろうが、まずは女の人というのはそうそう都合良く監禁などしてくれないと肝に銘じたい。大したことのない俺あたりが頼んでも、上記の作中の馬鹿男の二の舞である。束縛の光栄にあずかるなら、それにふさわしい者にならねばならず、涙に暮れて自分の軟弱さを恨む次第である。しかし、金さえあれば一時の夢を叶えてくれる場所もある。おそらく書くことの長い道のりには気晴らしが必要で、苦悩も気晴らしも必要のない人たちは、うらやましい限りだがそれは俺からすれば大層、退屈なのである。 合掌。


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