心象飛び交い接触の地域
日嘉 まり子


ふーっと異次元から差し込まれて来る物語が幾つも交差する。未来からもやって来る。ねばねばした善意や、賢くない悪意。「とんとんとん、猫が死んでいるの」と幼女から、誰も訪れることのない昼なお暗い練習室の扉をノックされたらド肝を抜かれる。お母さんよりいち早く見知らぬ私に頼るのがゆらゆらと恐い。ああ目を覚ましてくれと言いたくなる。猫を一緒に捜しに行くか、お母さんに電話をかけてもらおうか。幼女の形相はくるくると変わり早く早くと思いをつのらせ、牙を飛ばしそうだ。人に決着をつけてもらおうか、何らかの行為に移らなければ引き裂きかねない。途中から猫ではなく「私は死んでいるの」と納得したことはよいことだ。雨降りの夜の練習室は音がゆがむ。あるお屋敷の前で馬車がぬかるみにはまり困ったことがあった。雨宿りのつもりで招き入れられた暖炉の部屋には、金糸と銀糸でかがられたテーブルかけがかけてあった。赤ん坊の靴下が暖炉で燃えている。「ぎゃやあ」赤ん坊の一声の後はいっそうの沈黙。3人の女たちのドレスには血しぶきが広がって薔薇が咲く。「とりすました意地悪な女が憎くて、夜な夜な沈めた。女ではなく胎の子を。するりと切り刻まねばならなくなった。流産。」どこかの人間の心象風景の中で、いつも行われていること。猫幼女、3人の吸血女、哀れな復讐鬼女、いずれも女物語。こう言うものを聞き書きするのが詩となるからして、これら浮遊の人々を毛嫌いし、閉じこめ、いないもののごとく忘れようと努めることこそ、強力なひび割れを起こす原因なのです。いきいきとした距離感覚こそ安全圏内であることを知るべし。


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