鏡よ鏡よ鏡よ鏡
加護ユリ


 最初にl o o k i n g g l a s s (カガミ)の王国が欠け
たのは三月二十四日 土曜日の午后でした
 磔(はりつけ)にされた壁から激しく震えて落下した理由は
依然として謎です 大鴉と首なし騎士の銀細工は斜めに欠けて
優美な楕円は歪んだ心臓(ハート)の形になりました
 鏡(カガミ)よ鏡(カガ )よ鏡( ガミ)よ鏡(カ ミ)
 九十度たす九十度たす九十度たす九十度は?
 月は満ち欠けを繰り返すのに欠けた鏡は満ちることはありま
せん 割れた鏡は破片の数だけ鏡として存在するのです
 鏡の王国の住人は幽かに欠けています 失踪した蹄(ひづめ)
蒸発した鬣(たてがみ)行方不明の膕(ひかがみ)
 それなのにどんな呪いをかけられたのでしょう
 若い葬儀屋 彼はどこも欠けていません あらかじめ逆さに
書かれた鏡映文字のように真実の姿を見せます 私は欠けてい
るでしょうか 鏡に映るのは左右逆の姿と親切な魔術師に教わっ
てから謎のままです 右の髪を編み込んだのに左の髪を編んだ
私と向き合うなんて耐えきれません 新しい絵筆のように細長
い影を落とす葬儀屋 彼にだけは気づかれたくありません 私
が自分の顔を知らないことに 鏡に反映する自分自身を正視す
るふりを必死で続けます
 さらに鏡の王国が無数の破片を切望したのは十月三十一日
水曜日の夕暮れでした 静かに あっけなく 悲鳴もあげずに
欠けてしまいました 鏡の破片は傷ついています 鏡の破片は
血のしずくを流しています 早くガアゼで手当てしなくては
破片の数だけとてもガアゼは足りません 鏡の王国ではありと
あらゆる予定調和が約束されています ガアゼを巻き付けた右
手を差し出せば「それでは足りないでしょう」と予定通り左手
を差し伸べるのが鏡の王国の住人です
 それなのにどこで呪われたのでしょう
 ガアゼが不足して困っている私の左手から「たくさん持って
るね」と云って葬儀屋はガアゼを受け取りました 絶望したガ
アゼはみるみる解けて消えていきます 秩序正しい世界を裏切
るなんて あやまちは痛みを残します
 鏡(カガミ)よ鏡(カガ )よ鏡( ガミ)よ鏡(カ ミ)
 九十度たす九十度たす九十度たす九十度は?
 私は彼を避けるようになりました 葬儀屋を避けても葬儀屋
の幻と出逢います 幻と同時に禁じられた扉に触れて悲しみを
手繰りよせたこともあります
 鏡の王国の住人は私が後ろにさがれば誰もが遠ざかるのに彼
は近づく 私の後ろからあえて追い越す 逆に私も彼の後ろ姿
を遠慮なく視線に捕らえる 鏡の王国の住人でなければ残酷な
こともできる 我が儘になる 冷たい仕打ちを何回もできる
 屈折して屈折して屈折して屈折してまっすぐになる天の邪鬼
な恋ごころは鏡に映るでしょうか 謎また謎です 曇った鏡の
王国の突き当たりに昇降機(リフト)が見えます 振り向いて
笑いかけてくれる葬儀屋の屈託のない声 あの箱に二人で閉じ
込められたらどんなに仕合せだったでしょう もちろん私はつ
れない態度をとります
 嗚呼(ああ)強い眩暈と戦いながら苦しい胸を押さえます
何も動いていません 欠けています 見えない部分が欠けてい
ます 舞台装置のように背中が消えている方がましです 乱れ
る鼓動が欠けているなんて
 さあ 鏡を割りましょう もっと多くの破片で満たさなくて
はこの鏡(カガミ)は軽く欠けてしまいます 私は鏡(カ ミ)
人間に恋をしても仕方ありません 昇降機(リフト)の扉が開
きます 抉り出した心臓が約束通り私を待っています


   gild ....に「金ぱく」をかぶせる 金めっきする 金色に塗る
   gild the lily →PAINT the lily
   paint the lily [比喩]自然の美に(不必要な)人工の美 を加える
   個人誌『paint the lily』年三回発行
   偶数号には好きな詩人をリスペクトする「カはカラスのカ」
   ゴシックなものについて語る「ゴはゴシックのゴ」を収録 


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