混沌の館より
西野りーあ


アナログ界不定期彷徨冊子。
揺蘭について、何か書かねばならない。

揺蘭には謎が多い。

混沌の中からぽつりぽつりと人影が現れ、あずまやで会談し、また散って行く。そして、程なくして原稿が、所在地不明の編集人の元に送られ始める。編集作業は進んでいるのか遅れているのか不明のままで、知りたければちっとも繋がらない電話に根気よく留守電を入れて置くしかない。

時は金なり。時間厳守。数、金、力。分からなければ安心できない。等々の現代気質の世界とは、どうにも隔たった価値の岸辺から打ち寄せられるしろもののようである。

同人制ではなく、寄り合い制を取っている。個人誌の合同版のような感触。各自ページの宰領は完全に個人にまかされる。いつ出すか、次号の参加費はいくらにするか等は精霊らの寄り合いで合議決定される。小回りを重視して、費用はなるべく抑えられる。豪華装丁バージョンはそのうち突発的に出るかも知れない。
『揺蘭』という名も、便宜上名乗る名の一つでしかなく、何号か後に別の名前で別体裁に、するりと移行するかも知れない。同人誌の固有名詞および体制が、変幻自在の各才能を縛るとしたら、本末転倒である。器もやはり変幻しつつ逍遥するものであるべきだろう。表現者はそれぞれの困難多い領国の統治者であるゆえに、より高い目的以外には余所様の指示は受けたくないのが本音なのである、と、ひっそり窓際に来て囁く人影があって、それも精霊の一人であったか。

参加人は、出費に応じて割り当てられたページ内で何事かを為すが、集まった作品が詩のみの場合は、別形態の作品が出るまで発行は遅れる。
参加人は自分の持ちページ以内で知人友人に執筆を依頼する事も可能。参加を表明したものの、事情で書けない人は全頁を依頼する事もある。ゴーストライターもOKな冊子である。普段書いている筆名とは違う筆名を敢えて使う人も居て、それも推奨である。
そのようなわけで、今現在編集を受け持っているりり山は、今現在の執筆人全員を把握しているわけでも何でもない。お問い合わせがあれば、伝言につぐ伝言で作者に伝えるしくみだ。通信手段が発達すると、手間暇かけて連絡を取ろうとする心持ちがおろそかになる。私見だが、本当に欲しいものがコンビニに無ければ、遠方まで捜しに行くのではないか? 表現とは天竺まで馬で経巻を取りに行くのにも似て、読むことも、チベットの埋蔵経に似ている。

表現の威信をかける人ほど精霊的遊び心が必要不可欠である。
架空評論・虚偽作家論書ける人、歓迎したい。
りり山リリヤエンは『偽シルマリリオン・闇バージョン』を外注に出そうと目論んでいる。

なお、これらはWEB用書き下ろしですが、2003年卯月の日嘉まり子氏のみアナログ『揺蘭』冬号後書きからの転載です。




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