精霊マニアに捧ぐ、水底負債人の逃亡日記

鳩宮 桜城


 精霊愛好家及び、精霊フェチの皆様、変わりなくお過ごしだろうか。あるいは、女性崇拝者諸君及び下僕志願同盟の諸兄、無沙汰をお許し願いたい。
 俺は、水底図書館債権管理部に追われる身となって(揺蘭参照)、都市部の迷路に身を隠し、諸兄に連絡も取れないのである。自然霊は電脳系が苦手らしいとのことで、知人宅からひっそりアクセスしている。 自宅には当分戻れない。それほど親しくない知人が、マンションを隠れ家として提供してくれた。家賃はいらないから、留守番のつもりで使ってくれとのこと。賃貸用に買ったものの不動産屋と揉めてるとか、恋人に買ってやったが逃げられたとか、事情があるらしい。高層マンションで、夜景を見ながら酒を飲めるのは、極楽である。
 しかし。知人、Y沢は俺が文章を書くと知って、彼のために作品書いてくれと言ってきた。断り切れず、一日原稿用紙二枚程度づつ原稿を渡すことにした。が。「鳩宮さんの文才に任せる」と言いつつ、作品に具体的な指示が入るようになったのである。要するに奴の頭の中の妄想を文章化するようなものである。
 例えば、その一。女性権力者との戦に敗れた男が(Yを美化しまくった人物)捕虜にされ、なぶり殺しになるまでの詳細な記述。例えば、その二。山神姫の奴隷狩りで連れ去られた男が(無論Yを美化しまくった人物)散々仕込まれたあげく使い物にならぬと捨てられるまでの詳細な記述。その三、その四、以下略。もうここに書く必要もなかろう。
 登場人物の性格や外見、セリフを詳細に指示してくるが、それがどうしようもなくつまらなくて下品で、エロですらないのである。
 これじゃ家賃を上回る重労働だ。こういうのは他に頼んでくれ。客の注文通りの作品書くのは、別の才能が要るんだよ。
 ああ書け、こう書けと指示されるのは恐ろしく苦痛である。なぜなら、自分に嘘をつくことを強要されるに等しいからである。自分への嘘なら普段つきまくり、と言おうか、大抵の人と同じく、人生がすべて自分の思い通りになるとは俺は思っていないので、礼儀正しくまともな社会人を演じている。
 それもこれも、書くためである。書く時間の為に、俺はバイトもするし、親のすねかじりもする。
 が、作品のことで愚にもつかない指示をされて、その指示がとんでもなくセンスが無く、すべてを台無しにするような物だった場合。しかも「それくらい書けるだろう」「こうした方が良い」と言われた日には、相手が豚野郎に見えてしまうのである。ある程度任せられないなら、自分で書け。口出しするなら、その前にちょっとは本を読め。文字表現とは何かについて、俺の話を聞け。それを告げるとYは言った。
「ここの賃料ほんとは高いんですよ。これくらいが大変なんですか?」 
 俺の怒りは沸点に達した。編集者に「ここをこう直せ」といわれれば、商売だから仕方ない。あるいは、「まずいところ有ったら直して下さい」と、頼んだ相手に指摘されるならいいだろう。もちろん、その指摘が妥当なら、文句が出ようか。あるいは俺が「家賃まけてくれれば原稿書きます」と言ったなら仕方ない。が。俺はぁぁ〜、家賃タダにしてくれぇ〜、かわりにあんたの指示通りの原稿書くよぉぉぉぉ〜、などと一言も言って無いのだ。
 こんな事で血相変えて怒る俺は変人か? つまりだ、例えばDV被害者の女性に、「社会の一員としてお役に立ちたい」と言って家を提供して、見返りに「これくらいいいだろう?」と色事を迫れば相手は怒るよな。ヤりたいなら最初からそう言えばいい。人格者のフリと本音のギャップを間近で見れば、読者諸兄でも嫌だろ? 足元見たつもりかぁ?、この豚野郎。 出ていく宣言をした。どのみち荷物は鞄一つだ。Yは真っ青になって立ちすくんだ。エレベーターのドアが閉まる直前、靴も履かずに追ってくるのが見えた。
 喫茶店で珈琲を飲んでいると、携帯にメールが入った。
『済みません、無神経でした。何が重要なのかも分からず勝手を言いました。どうぞ、マンション使って下さい。駄目なら話だけでも聞いて下さい云々。』
返信した。『二度とメールするな』
しばらくしてまたメールが来た。「死ね」、と返信しようと見れば。やたら丁重な文面だった。
『先ほどは大変なご無礼を致しました。お許し頂けるとは思いません。ご不快を少しでも和らげたく、御夕食を予約いたしました。云々』
卑屈になっているのではなく、M男君だからこの手の文面はごく普通なのだろう。無視していると喫茶店の前に車が止まり、綺麗な女性が感じよく微笑みながら降りてきた。
「鳩宮様、大変お待たせいたしました」
速攻でコンパニオンが派遣されたようだ。無関係の女性に当たるわけにも行かず、断るタイミングを逸した。美人コンパニオンと二人でメシを喰った。その後はホテルを取ってあるというので、広い部屋でコンパニオンと一夜を過ごした。美しくて、いい匂いで、柔らかいものは人生に癒しを与える。たっぷり眠った。
 メシ、女性、睡眠の三大欲望とプライドを引き替えにするのか、と諸兄は呆れただろうか。美人コンパニオンが柔らかく笑みながら「貴方ほどの方が見識のない相手にいちいちお怒りになっていては人生のロスではないでしょうか」とか囁き続けるのを聞く内、「こだわるほどの事じゃなかった」と思えてくるのだ。Yが女に金を払ってそう言わせていると分かっていても。Yの作戦勝ちだった。
 三日くらい泊まって、Yが挨拶したいと言って来た頃には怒りは無かった。Yに聞いた。俺が出ていったら困ることでもあったのか。もしかして俺に惚れてたのか?
「喧嘩であの部屋から出ていったのは、鳩宮さんで五人目なんです」
他の四人とはその後も音信不通というから、と尋常ではない。
「しかも、皆、いきなり怒り出して。出ていって、そのままです」
「あんたが鈍いから、いきなりに見えるんだろ。俺は何度も苦情言ったよ?」
Yは額の汗を拭いた。
「申し訳有りませんでした。心から悔いております。あの、鳩宮さん、お怒りになったとき、いつもと違う何かを感じましたか」
「?」
「僕は、頭が真っ白になって、その場で自殺したくなるんです」
「! ! ! ?」
「凄い怒りと絶望で訳が分からなくなって。でも僕、そういう気性じゃないんですよ。変なんです。今回は、まただ、と思ってすぐ部屋を出ましたが」
初めは、マンションを献上しようとしたミストレスだったというから、出て行かれて自分を殺したくなったのはまだわかる。が、次も、次も、俺の時も。Yは相手が出ていった直後に自分を殺したくなったという。
「いつも気がついたら刃物を握ってぶるぶる震えてるんです」
「全部、あの部屋での事か?」
「はい」
「それは・・・・すぐに部屋売った方が良いね」
「やはり、そうですよね。アレでしょうね」
「アレだよ。何か有ったんだろ、あの部屋」
俺達は黙ってコーヒーをすすった。危なかった。
 翌日、自殺のあった物件を隠して売ったろう、と不動産屋に苦情を言ったが、取り合ってもらえなかったという。Yは幾らでも良いから早く手放したい、とぼやいた。
 揺蘭編集人が条件の良いマンションを探していたのを思い出した。「自分で除霊するから、幽霊の出る物件でも構わないわ」と言っていたのだ。危険すぎるので伝えなかった。
 みなさん、物件は慎重に選びましょう。美形の精霊が夜毎訪れる問題物件なら、俺が買います! 幽霊は勘弁してください。
 そんなわけで、予告していた“人魚の躍り食い”の話は、【アナログ揺蘭】に回します。 
  完


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